信楽高原鐵道正面衝突事故
「現場の赤緑です…」
未だに記憶に残っている衝撃的な事故の1つです。
平成3年5月14日…
この日、当方は得意先から会社に戻ると、夕刊1面に大きく載った正面衝突の写真が眼に入ってきました。
「どこの国の山の中?」
「鉄道が整備されていない発展途上国ってあるんだよね」
「外国に旅行する時は気をつけなきゃ」
(気をつけろといっても難しいですが)
ところが、まさかの日本国内の出来事に衝撃。
何度も記事を読み、TVのニュースに釘付けになったのを覚えています。
列車交換をするはずだった信号所では、
「信号所で対向列車が来ていないのに出発」
「信号の見落としか」
「でも信号が青だったから出発した」
一方、信楽駅では
「赤信号なのに出発させた!?」
「無線連絡が取れなかった」
このようなコメントがあったと。
これだけ見ると、素人です。
一体何があったのか…。
さて、旅行2日目の4月5日は大阪―信楽―(米原経由)―近江塩津―武生―敦賀―(湖西線経由)―大阪の行路。
春休みの日曜ということもあり、貴生川までは満員でした。
まずは貴生川から終点の信楽駅へ向かいます。
SKR301。
当時は世界陶芸祭開催期間中のため、乗車率200%以上の超満員だったそうです。
以下は当時の状況を風化させないように信楽駅構内に展示している資料です。
偶然にも当方が訪れた時間は、当時とほぼ同じ10時頃でした。
暗い話ばかりではイケナイので。
駅前の店には当方に縁のある(?)狸がお出迎えです。
偶然(タマタマ)なのか、オスばかりです。
信楽駅からの帰路、現場を改めて通ります。
今度はSKR205をつなげた2両編成です。
この種の車両と衝突した相手は頑丈なつくりのキハ58でしたね。
撮影できませんでしたが、紫香楽宮跡駅の貴生川寄り(旧小野谷信号所寄り)に慰霊碑が現場近くにありました。貴生川方の先頭車から見えました。
ゆっくり慰霊碑を見たかったのですが、後の行路が詰まっているので、下車しませんでした。
正確な現場は確認できませんでしたが、多分このような見通しが悪かったのでしょう。
それに、超満員の列車、急ブレーキともいきませんし。
今では新名神高速道路があり、信楽ICのすぐのところに紫香楽宮跡駅があります。
この事故以来、小野谷信号所は使用禁止。線路は残っているものの横を向いた信号機が本線の右に見えます。
世界陶芸際の輸送力増強のため多額の投資をして新設した直後の事故。わずか稼動2ヶ月の短命信号所です。
以後、全区間1閉塞運用です。
また、JRからの乗り入れも廃止され、貴生川駅構内の信楽方面の出発信号機もヨソを向いたままです。
ところで旧信楽線時代から、小野谷信号所以外は変っていないのでしょうが、実際に乗って不思議に思ったのです。
貴生川―9.6㎞―紫香楽宮跡―0.6―雲井―2.2―勅旨―1.0―玉桂寺前―1.3―信楽。
貴生川―紫香楽宮跡間が異様に長いのです。
貴生川から乗るとJRと分かれ、鬱蒼とした森の中の勾配を時速40㎞程で上り続けます。
旧小野谷信号所からは山間を走るものの、ほぼ平坦。
それまで唸りながら上っていたので、平坦に思うのだけかもしれません。
列車に乗っているだけでは信楽町は孤立した遠い場所…に思えます。
昨年、新名神高速道路が開通し、信楽ICが出来たことで、高原鐵道の利用客数に影響があるのは必死。先行きを考えると…とある運命になるかも。
JR西は教訓を得たのだろうか?その後に起きた、あの福知山線の事故は何だったの…、
静かな山間の現場からお伝えしました。
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コメント
こんばんは。信楽の事故は1991年ですから今から19年前ですね。現24歳ー19年前=私は5歳でしたね。まだ幼稚園の時代だったのでよく覚えていませんが20歳の5月13日に信楽駅の近くの親戚の家に遊びに行きました。私は親戚が『明日の信楽10時17分発の電車って正面衝突した時刻の電車なんやで。』と言っていたので親戚に『今日、泊まってええか?』と聞くとOKをくれたので前日は親戚の家に泊まりました。そして次の日の5月14日。信楽10時17分発の貴生川行きに乗りました。紫香楽宮跡駅発車後10時35分。列車は小野谷信号場を通過しました。車内の乗客の何人かが黙とうしていたので私も一緒に黙とうしました。キハ58と普通列車がここで事故を起こしたんだなーと思いました。北陸トンネル事故と違ってこの事故で私の親族は誰も亡くなっていませんが、このような事故が一度も起こらない事を心から願っています。
投稿: 燃田樹(24) | 2010年4月20日 (火) 22時30分